2021年4月27日火曜日

4月28日 象の日 

 4月28日は象の日です。

1729(享保14)年のこの日、ベトナムから渡来した象が中御門天皇に披露された。
当時、象は大変珍しく、行く先々で象フィーバーが起こったという。(ドコモ マイデイズより)

当時の象フィーバーは本当にすごかったようです!(一番下に参考文章あり)

象に関するご当地キティちゃん、探してみましたが、日本ではみつからず、ご当地キティヒストリーブック内の世界のご当地キティから抜き出してみました!

世界のキティ 象キティ(タイ)


写真下の説明*昔、王様を乗せてて戦いの最前線に赴いた象たちは、誇りと勇気の象徴です。今では林業や観光で活躍し、タイの人たちのパートナーです。

キティちゃん、観光用の象にまたがる「エレファントライド」してますね!キティちゃんはタイの民族衣装風かな。耳飾りは白い花のプルメリアかな?
日本では出来ない貴重な体験、うらやましいなっ

他にもタイ国のキティちゃん、一緒にUPしておきますね♪
少しだけでもトラベラー気分に浸れると嬉しいです🌸
世界のキティ(タイ) トムヤムクンキティ


1下の説明*タイ料理代表選手のエビスープ。エビ、レモングラス、青唐辛子、ナンプラーなどで調理した複雑なすっぱ辛い味が最高!
何だか打ちながらすっぱ辛い味が思い浮かびます(笑)キティちゃん、トムヤムクン鍋の中に入って熱い?辛い?辛そうな表情をしてますね!

世界のキティ(タイ) ヤックキティ

ヤックはタイの仏教の神様の一人で、魔除けなんだそうです。
キティちゃん、ヤックと同化しているようですね!

世界のキティ(タイ) 水上マーケットキティ


水上マーケットは東南アジアならではの市場です。今は観光客向けが多いと思います。
キティちゃんは、タイの商人になったのかな。現地の麦藁帽子を被っているみたいです。船の上に沢山の果物をのせて出発してますね!

世界のキティ(タイ) タイ舞踊キティ

タイの舞踊は手の動き(手を反る)に特徴があるのではないでしょうか。しなやかですよね!
キティちゃん、タイ舞踊の衣装で踊ってますね!ちょっと緊張してる!?

世界のキティ(タイ) TukTukキティ



6の下の説明*小柄な車体でタクシーやトラックに使われるトゥクトゥクは昔、日本でも走っていた三輪自動車です。正式な名称はサムロー。

キティちゃん、トゥクトゥクの運転士でしょうか?車窓から大きく身を乗り出してる。。危ないよぉ~
耳飾りはタイの有名な花の蘭ですね!

世界のキティ(タイ) ムエタイキティ

7の下の説明*タイ式ボクシングのムエタイは、タイの国技。選手たちは試合前にワイクルーという踊りを踊り、髪に勝利を願うのだそう。
キティちゃん、真っ黒になって、ムエタイの試合を戦っているのかな?頑張って!!

世界のキティ(タイ) マンゴーキティ

タイはフルーツが沢山の王国です。マンゴーも種類が豊富で甘くて美味しいぃぃ
キティちゃん、マンゴーに全身を入れちゃいましたね!
世界のキティ(タイ) ワイキティ

ワイは合掌して挨拶すること。タイでは合掌してサワディカーと言いながらお辞儀する挨拶をします。「こんにちは~」です。
ガングロなキティちゃんも、手を合わせて挨拶してますね!
以上、タイのご当地キティちゃんでした。

〈江戸時代の象フィーバー〉
8代将軍 徳川吉宗が直々に注文した象は、発注から2年後の享保13年(1728) 6月13日、唐船に乗って長崎にやってきました。ベトナム生まれのオスとメスの2頭の象は、船上から波止場へと厳重に誘導されて、十善寺村へと移動。唐人屋敷の中で飼育されていましたが、残念ながらメスの象はまもなく死んでしまいました。翌年3月、生き残ったオスの象は、いよいよ吉宗のいる江戸へと出発します。

 象の飼育係とともに、体重が3トンもある巨体と長い鼻を揺らしながらゆっくりと長崎街道を行進しました。将軍さまに献上される象に不備があってはタイヘンと、街道沿いの宿場は大騒ぎ! 道の石・ゴミ拾いや象の飲み水・大量な食料の準備はもちろん、橋を補強したり、川にはイカダを組んだりといった作業が、全国の街道沿いで一斉におこなわれたといいます。長崎街道の木屋瀬宿(北九州市)にある宿帳には白象が泊まったという記録もあるとか。小倉の常磐橋を通過し、4月に京都へ到着。「広南従四位白象」という位を授かった象は天皇と謁見しました。

 さて、まだまだ道のりは続きます。江戸へと向かい浜御殿に到着し、吉宗と見物したのが5月。この象の旅は約1200km以上、およそ80日にわたる旅でした。その後は浜御殿(現在の浜離宮)で飼われた白象さま。はじめて見る巨大な象の飼育も大変。一日に食べる量は、米を八升、あんなしの饅頭を50個、ダイダイを50個…とペロリとたいらげる大食漢。10年以上も浜御殿で飼われていましたが、ある日、飼育係が象に殺されるという事件が起こってしまいました。払い下げになった象は、百姓の源助さんが中野に建てた象舎で世話をしましたが、江戸の見世物にされ、ちょっと悲しい余生…、1年後には死んでしまったそうです。一説によると死亡した原因は栄養失調ともいわれています。(以上、旅する長崎学 ~たびなが~より抜粋)

ここまで読んでくださってありがとうございました!!!




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